メサイア

ヘンデルが1741年に作曲したオラトリオ。ジェネンズが『旧約』『新約』両聖書をもとに作成した台本により、キリスト降誕の預言からその復活までを描いている。

全体は三部からなり、第一部では預言と降誕が、第二部では受難と贖罪が、第三部では復活と永遠の生命が扱われる。なお「メサイア」とはヘブライ語の「メシア」を英語読みしたもので、通常「救世主」と訳されている。

この作品の劇的な効果と深い宗教的感動は初演時から多くの人の心をとらえ、今日においても、もっとも人気の高い宗教音楽作品の一つに数えられている。第二部の最後を飾る「ハレルヤ・コーラス」はとくに愛好されており、ロンドン初演の際、この部分で国王ジョージ2世が感動のあまり起立したというエピソードは名高い。

編成は4人の独唱者と混声合唱および管弦楽。作曲の翌年の42年にアイルランドのダブリンで初演され、その後作曲者によって大掛りな改変が施された。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

ゲオルク・フリートリッヒ・ヘンデル

ドイツ生れの作曲家。のち英国籍を得て(1727年)George Frideric Handelと名のる。

中部ドイツのハレに生まれ,同地のオルガン奏者ツァハウの薫陶を受ける。ハレ大聖堂で見習オルガン奏者を務めたのち1703年にハンブルクに赴き,オペラ劇場のバイオリン奏者などを務める一方オペラ作曲家としてもデビュー。

1706年−1710年イタリア各地で活躍し,イタリア・オペラの諸様式を学んだ。1710年ハノーファーの宮廷楽長を経てロンドンに渡り,イタリア語によるオペラ《リナルド》(1711年)で成功。英国での地歩を固め,自らヨーロッパ各地を興行,劇場運営も行った。パーセルの早世(1695年)以来沈滞期にあった英国音楽界に,以後その存在は絶大な影響力を広げることになる。

また,1714年主君のハノーファー選帝侯がジョージ1世として英国国王になって以来,王室とも関係を保った。1741年ダブリンで4週間で書き上げたオラトリオ《メサイア》(1742年初演)が成功後は英語によるオラトリオを多数発表した。

1751年ころから眼を病み,1753年失明。作品はほかに,オペラ《オルランド》(1732年),《セルセ》(1738年),オラトリオ《アレクサンダーの饗宴》(1736年),《サウル》《エジプトのイスラエル人》(ともに1739年),《ユダス・マカベウス》(1747年),《イェフタ》(1752年),英語による宗教的合唱曲《デッティンゲン・テデウム》,管弦楽曲《水上の音楽》(作曲年不詳),《王宮の花火の音楽》(1749年),室内楽曲,コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲),歌曲,ハープシコード曲,オルガン曲など。

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